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 クラシック3冠最終戦・菊花賞が25日、京都競馬場で行われる。無敗で皐月賞、日本ダービーを制したコントレイル(栗・矢作、牡3)を出走させる矢作芳人調教師(59)=栗=が、好評連載中のコラム「信は力なり」の菊花賞特別版を寄稿。コントレイル誕生の経緯からこれまでを振り返るとともに、史上3頭目となる無敗の3冠が懸かる一戦へ向けての思いなどをつづった。

 今から40年近く前、競馬の世界に足を踏み入れたのは大井競馬場の父の厩舎だった。厩舎全馬の調教が終わってから、持ち乗りで1頭の世話をしていた。考えていたことは1つ、とにかく結果を出すこと、勝つこと。良いと見聞きした調教やケアは何でも取り入れたし、毎日必死に1頭の馬と向き合った。

 しかし厩舎の中で最も走らない馬や脚元に問題がある馬しか担当させてもらえなかったから、なかなか結果は出なかった。それだけに、いつか誰もが羨むような馬を手掛けてみたいという強い思いを持ちながら、結果を出すことだけを考えて日々仕事を続けてきた。随分と長い年月が過ぎてしまったが、ついにコントレイルという優秀な馬と巡り会うことができた。

 彼の物語は2011年から始まる。その年の9月、ノースヒルズの前田代表から「ケンタッキーに行って、競走馬としてはもちろん、繁殖牝馬となってからも楽しめるような良血の牝馬を買ってきなさい」という依頼をいただいた。ノースヒルズの福田マネジャーとともに数多くの1歳馬を下見してまわった。そして出会ったのが、後にコントレイルの母となるロードクロサイトだった。父は北米のリーディングサイアーのアンブライドルズソング、母フォークロアはブリーダーズカップジュベナイルフィリーズを勝った2歳チャンピオンであった。

 当時のセリ名簿を読み返してみると、何頭かピックアップした牝馬の中でもロードクロサイトのページには特Aの印が付いている、まさに一目惚れ状態だったのだ。しかしそれだけの良血馬である。価格は高くなるだろうし、落とせるかどうかは微妙だった。ただ当時はリーマンショック後のアメリカ経済の落ち込みが続いており、極端な円高状態が続いていた。その結果、日本円で3000万円強という望外な価格で落札することができたのだ。リーマンショックがなければ、おそらくコントレイルは誕生していない。

 リスグラシューのラスト3戦について自分は「人智を超えた」と表現した。コックスプレートや引退レースの有馬記念は正しくわれわれの想像をはるかに超えるパフォーマンスだった。しかしコントレイルはデビュー前から既に自分の想像を超越していた。球節の不安から2歳前半全く乗れなかったのに9月15日にデビュー勝ち、追い切り実質1本で本調子ではなかった東スポ杯2歳Sのレコード勝ち。そしてその当時、彼をマイラーと評価していたわれわれの眼力の無さをあざ笑うかのように距離延長を克服し、何もかもが規格外でレースを重ねる度に驚かされる。

 神戸新聞杯の後も馬は順調に、そして楽しんでいるかのように日々の調教をこなし、状態に関しては何の不安もない。プレッシャーがキツいでしょ? と問われるが、このプレッシャーは自分たちしか味わえないものだ。長い間、望んでもかなわなかった現在の状況を厩舎スタッフとともに楽しんでいる。

 今はただ、菊花賞のゲートが開くその瞬間まで自分の仕事を全力で全うするだけである。皆さん応援よろしくお願いします。

 ★CW軽く周回落ち着き万全…コントレイルは20日、栗東トレセンの角馬場で入念に体をほぐした後、CWコースを1周。首をグッと下げながらゆったりと周回し、鞍上との折り合いもぴったりだ。矢作調教師は「もう少しテンションが上がるかと懸念していたけど、けさは(厩舎の)出掛けから良かった。落ち着いて調教できているのは何より」と語った。きょうの最終追い切りは、これまでのパターンと同様、坂路単走で行う予定だ。

矢作 芳人(やはぎ・よしと)

 1961(昭和36)年3月20日、東京生まれの59歳。父は大井競馬の矢作和人元調教師。開成高を卒業後、豪州での修業を経て84年に栗東トレセンへ。厩務員、調教助手を経て2005年に調教師として厩舎開業。20日現在、JRA通算672勝でJRA重賞44勝(うちJRA・GI12勝)。ほかに海外でGI2勝、交流GI2勝。




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